小山町衆の心意気 「祗園祭」 今も続く須賀神社の祗園祭。 江 戸時代末期の嘉永3(1850)年、 河 こう 野 の 守 もり 弘 ひろ が著した「下野国誌」に は、 下野の国(現在の栃木県)第一 の祗園祭であったと記されるほど 昔から有名なお祭りです。 江戸時代の祗園祭は例年旧暦6 月7日~16日まで10日間にわたっ て行われ、 このうち6月7日~14 日までが本祭、 15・16日が付け 祭でした。 付け祭は氏子町民が主 体となって行われる余興行事で、 あらかじめ年番町(祭事の持ち回り 当番)が決められており、 各町は他 の町内には負けじと屋台の建造・ 舞狂言などの奉納の派手さを競っ たと言います。 小山彫刻屋台の特徴 上部2の写真は昭和11(1936) 年、 観晃橋開通祝賀記念の際に旧 稲葉郷屋台が撮影された貴重な写 真です。 各町内は本屋台と付屋台の2台 を保有しており、 2台を横に並べて 2倍(9畳以上)の舞台とした形状の 「踊り屋台」となり、 日本で唯一の 形態とされています。 その大きさは、 1台の屋台が間 口2.7m、 奥行き5.4m、 高さ5.7m (車輪付き推定)となり、 鹿沼など の一般的な彫刻屋台と比べても約 1.5倍です。 小山彫刻屋台は、 彫刻屋台の 歴史を知る上で大変貴重なものと なっています。 復元された旧稲葉郷屋台 令和6(2024)年10月14日~11 月14日に旧稲葉郷屋台が市制70 周年に合わせて約20年ぶりに復元 され、 須賀神社会館にて一般公開 されました。 部材の破損欠損が多 いため、 本屋台と付屋台の2台の 使用可能な部材を組み合わせて、 1台が組み立てられています。 (上 部写真1) 旧稲葉郷屋台は文化12(1815) 年に建造され、 小山彫刻屋台の歴 史の中では後期にあたります。 後 期では厚い板材を使い立体的 ・ 写 実的に彫る彫刻が特徴で、 上部写 真3の妻飾り(屋根部分の装飾)の 彫刻にもその特色を見ることがで きます。 幻の旧稲葉郷屋台― 知られざる小山の歴史 ― 1 復元された旧稲葉郷屋台 2 旧稲葉郷屋台(昭和11年) 3 旧稲葉郷屋台妻飾りの彫刻 広報おやま 2025.1 13
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