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「新型コロナウイルスの感染拡大に伴ういじめや差別」について

印刷用ページを表示する更新日:2020年9月3日更新 <外部リンク>

 令和2年度第1回小山市いじめ等防止等市民会議を書面にて開催いたしました。

 今年度は、「新型コロナウイルスの感染拡大に伴ういじめや差別」について、参加教育関係機関(団体)の委員の皆さんから御意見を、さらに、講師の廣瀬隆人先生と顧問の田中真先生からご講評いただきました。

 会議のまとめの中から、市民の皆さんが「新型コロナウイルスの感染拡大に伴ういじめや差別」について考える上で、参考にしていただけるようなご意見を一部抜粋して、紹介させていただきます。

 

委員の皆さんからのご意見

どうして差別やいじめがおきてしまうのだろうか

 
 マスコミやネットなどで簡単に情報を得ることができ、「自分が感染してしまわないか」など、不安で冷静に判断することができず、周囲のうわさに惑わされ、感染者の方に対して差別してしまいがちである。
 差別はいけないとわかっていても、自分を守ろうとしてしまい、気づかないところで人を傷つける言葉や態度をとってしまっているかもしれない。

いじめや差別を生まないために

正しい情報と冷静な判断

 
 正しい知識をもち、正しく恐れ、感染した人やその家族に対して思いやりのある言動をとることを、まず、大人たちが示すこと。そして、それを子どもたちにしっかりと伝えることが大切である。
 様々な流言飛語や噂話に安易に同調することなく、的確な情報収集と状況判断が求められると思います。
 日頃から弱い立場になりやすい子どもの様子を観察し、いつも以上に注意して見守ることも必要。
 不確実な情報に翻弄されないように正しい情報を正しく認識し、過度に不安にならないことが大切であると考えられます。

 

相手の立場に立って考える・思いやる

 
 医療従事者への偏見は、社会生活の「砦」の破壊行為になる。自分が感染しないとはだれも断言できない。「自分が感染したら」を深く考え、「中傷・差別」ではなく、「支援・感謝・敬意」をもつ。
 いじめや差別は、被害者の立場に自分を置き換えて考えることができれば、減少するのではないでしょうか。難しいテーマですね。

継続的な指導及び啓発を

 

 差別意識を防ぐためにも、差別的点を科学的に説明するなど、繰り返しの日頃の啓発が必要かと思います。

 不幸にもかかった人への配慮も大切になってきます。かかりたくてかかったわけではないので、罹患した相手の立場を理解する啓発活動も併せて重要かと思います。偏見は小さな誤解から広がりデマとなって拡散します。SNSの発達もこうした点を助長する場合も多いかと思います。小さな啓発を続けることが改めて問われます。

 実際にいじめや差別が起きていないこと(プラスの面)を伝えることもいじめや差別の防止につながるのではないか。

 

大人が手本を示す

 
 大人の社会にこそ差別や偏見があります。それを子どもにうつさないことが大切であると思います。
 正しく大人が示した善意の行動(ダイヤモンドプリンセス号の皆さんに対する励ましのメッセージ、ブルーライトの点灯、食事の無償提供、医療従事者に対する感謝のメッセージ等)をいじめ問題の勉強会や解決策等、手法の中に取り入れてみることも一理あるのではないでしょうか。
 大人の関わりとして、小中学校の登下校時に在宅居住者は通学路に立ち、近隣の子どもたちに「おはよう」、「行ってらっしゃい」、「おかえり」等のあいさつをしてはどうか。

今後の活動について

 
 マスクを着用しない人、関東近辺の感染者の多い都県ナンバーの車の運転手に対して危機感をもってしまうなど、自分の思いに気づき、差別について理解を深めたいと思います。
 今後の状況によっては、いつ、どこで、だれが、感染するかわからないという、常に不安がつきまとうわけですが、(中略)自分の命の大切さとお互いに他人を思いやる気持ちを大切にしたいと思います。

 

コロナウイルス感染拡大状況下における人権について

 
 人権問題は一触即発の人間関係の中にこそ現れ、そうした非常時での人権に関する法整備は不完全なまま、そして「人権は地球規模のテーマである」とは、長く人権に関わってきた者としても「人権のニューノーマル(新しい常識)」だと思う。

 

講師の廣瀬隆人先生より

(以下の文章は、講師である廣瀬隆人先生よりいただいた講評から、ホームページ掲載用に一部抜粋したものです。)
 新型コロナウイルス感染症対策をめぐる自粛生活の中で、私たちは何を見て、何を感じてきたのだろうか。現在もなお、終息の展望を見せない中、私たちの人権感覚は、どのように変化したのであろうか。社会の変化の中で、自らの人権感覚は、大きな「正義」の中に埋没してしまわないだろうか。特に「恐怖」と「無知」は私たちを容易に人権の陥穽に導くのだ。
 市民会議の委員の方々から寄せられた意見には、そうした人権感覚に警鐘を鳴らす指摘が多数存在した。
 コロナが無ければ、決して気づくことのなかった自らの人権感覚にハッとさせられる人も多かったようだ。それは、「正義」の名の下に、これまで大切に育んできた自らの人権感覚が崩れそうになるということだ。委員の方々のこの意見にみられる深い気づき、自己省察の水準の高さ、反省的思考、これが私たちの学ぶべきところではないだろうか。
様々な形で起ち上がってくる「偏見、誹謗、中傷、流言飛語、噂話、差別、社会的排除」。私たちの新型コロナ感染症に対する「恐怖」と「無知」は、容易に偏見から差別に転化させてしまうのではないか。
 震災や災害の際にしばしば出回る悪質なチェーンメール、それを信じ込み、転送してしまう愚かしさ。私たちの「無知」は、いつでもつけ込まれてしまうのだ。それを防衛する唯一の手段は、学び続けることである。正しい情報は何かを見極めるための知識とリテラシーを磨いておかねばなるまい。
そのために、学校での学びを基礎として、公民館・社会教育があるはずだ。公民館は、地域の人々のつながりを紡ぐための教育機関であるが、同時に暮らしの中に「学習する」習慣を身につけ、学ぶことによって「無知」の呪縛から解放され、暮らしやすくしていくところだ。
 学校でのいじめをなくすには、いじめる子どもを暴き出し、断罪することではない。いじめを社会からなくすことである。「いじめはなくならない」とあきらめたその日から、いじめは増え続けることになる。私たち大人の社会から、差別、排除をなくさない限り、学校のいじめはなくならない。まずは自分の家族から、偏見をなくし、自分の職場から、差別をなくし、自分の町内から排除をなくすことである。そして、うっかりすると偏見を持ち、差別してしまう自分に気がつくことからはじめなくてはならない。私たちが人権の学習を継続し、学びの中から自分の価値観や思い込みに気づくことからではあるまいか。同僚の悪口を言わない、人に優しくする、自分からあいさつをする、自分から声をかける、思いやる気持ち、そういった具体的な提案が市民委員の方々から数多くよせられたことは、小山市民の意識の高さをあらわしているように思える。

 

 

顧問の田中真先生より

  コロナウイルス禍の影響の中、長年継続しておりました小山市いじめ等防止市民会議も、書面による開催という変則的な形をとることになりました。

 今回新型コロナウイルス感染拡大に伴ういじめや差別に対する様々なご意見が寄せられており、これを拝読いたしましたが、それぞれ傾聴に値するもので、様々な視点を学ばせていただきました。

 その中でも「コロナに関して正しい知識を持ち、正しく恐れ、感染した人やその家族に対して思いやりのある言動をとることを、まず、大人たちが示すこと。そして、それを子どもたちにしっかりと伝えることが大切であると考える。」というご意見がありましたが、重要な視点は、このご意見に簡潔にまとめられているのではないかと思います。

 さらに講師の廣瀬先生からご講評をいただいておりますが、先生は現状の問題点を歯切れ良くご指摘されており、書面ながらライブで講演を受講しているような感覚で拝読させていただきました。様々な場面で展開される差別排除に対し警鐘をならされ、読後はこの差別と排除に立ち向かうのは最終的に個々の勇気の問題だと考えさせられました。

 小山市いじめ等防止市民会議と同様の会議が継続して開催されるケースは少ないとお聞きしております。今回書面会議という会議になりましたが、これにより同会議がうち切られることのないよう、市民にいじめに対する問題への意識喚起と防止対策の効果的な波及基盤を醸成するためにも、今後も同会議が継続的に開催されることを願います。