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小山市の文化財一覧 ≪市指定史跡≫

印刷用ページを表示する更新日:2021年11月22日更新 <外部リンク>
  • 指定年月日
  • 面積
  • 種別
  • 所在地所有者

小山評定跡

  • 昭和39年5月14日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 中央町小山市

慶長5年(1600)、会津の上杉景勝征伐に進軍してきた徳川家康は、小山に在陣中、伏見城からの使者を迎えた。石田三成の伏見城攻めを知った家康は武将らを小山に集め軍議を開く。これが後に言う小山評定である。評定の結果会津攻めは中止し西上、関ヶ原での勝利に繋がった。
現在「小山評定跡」の石柱が立つ小山市役所前は、評定を開いた「小山古城」(祇園城)の南部分、後に徳川秀忠によって小山御殿が建てられた地で、評定を開いた仮の御殿はこのあたりに建てられたと考えられる。

小山評定跡

篠塚稲荷神社塚古墳

  • 昭和40年4月27日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 大本篠塚稲荷神社

思川西岸に広がる沖積地の北端近くに築かれた、6世紀中葉頃の前方後円墳である。南側が前方で、北側が後円である。前方部を南に向けた古墳の墳長は62メートル、前方部の幅30メートル、高さ3.5メートル、後円部は直径35メートル、高さは4.75メートル。前方部の前端部は道路敷設のために削られ、後円部は頂上部を削って神社が祀られている。大本地内に分布する大本古墳群では最古で最大で、6世紀前半の琵琶塚古墳後の首長墳ともいうべき中規模の古墳である。

篠塚稲荷神社塚古墳

飯塚一里塚

  • 昭和40年9月3日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 飯塚小山市

一里塚は二間四方の小山の塚の上に榎や松を植えたもので、一里(4キロメートル)毎に設けられた。起源ははっきりしないが、慶長9年(1604)、家康が東海道、東山道、北陸道に一里塚の築造を布告した記録が残る。飯塚一里塚は壬生通り(日光西街道)の飯塚宿と壬生宿の間に設けられたもので、現在も道路の両側に二つの塚が残る。(東側は昭和56年に修復)。壬生街道は将軍家の日光社参のとき帰路に利用されることが多く、そのため道幅は五間と定められ、一里塚を設置するなど街道の整備が進められた。

飯塚一里塚

神鳥谷曲輪跡

  • 平成19年12月28日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 神鳥谷小山市

神鳥谷曲輪跡はJR宇都宮線小山駅の南1キロメートルの付近に位置し、13世紀後半から15世紀にいたる鎌倉から南北朝期の小山氏の居館跡であると考えられている。
平成19年の発掘調査では、道路跡、掘立柱建物跡、井戸跡、土壙などが確認された。道路跡は側溝を含んで約6メートルの幅を持ち、当時の主要道である奥大道につながる道だったと考えられている。居館はこの道路を塞ぐように造られており、掘立柱建物跡は3棟、井戸跡は全部で20基確認され、井戸からは、中国龍泉窯製青磁、漆塗の椀片、下駄、将棋の駒などが出土している。
小山義政の乱で、義政は鷲城・岩壷城・新城・祇園城・宿城の五城に拠って、足利氏満軍と戦っていることが、「頼印申状案」(『明王院文書』)などの史料に見える。また「烟田重幹軍忠状案」(『烟田文書』)に、「義政屋敷西木戸口合戦」とあり、こうした記述と発掘調査の成果を合わせて考えると、神鳥谷曲輪跡は、「義政屋敷」あるいは「宿城」であった可能性が高いといえる。
この遺構は、小山氏関連の館跡として、その造営および変遷、ひいては小山氏の歴史を解明する上で極めて貴重な遺跡である。

神鳥谷曲輪跡

外城2号墳

  • 昭和54年10月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 外城個人蔵

6世紀後半の築造とされ、地下式横穴式石室を持つ古墳である。直径約20メートル、現在の高さが約1メートルの円墳と推定される。横穴式石室の全長は約4.2メートル、奥壁の幅が1.16メートル、高さが1.47メートルの長方形をなしている。副葬品として鹿角装刀子、ガラス玉、切子玉、刀子、鉄鏃、耳環が出土している。
石室・墓道がほぼ完全に遺存している古墳はきわめて少なく、県下でも貴重な事例である。

外城2号墳

横倉戸館古墳群

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 横倉個人蔵

この古墳群は小山市東端を流れる西仁連川をはさんで結城市と接する横倉字戸館に所在し、東方に張り出した舌状台地のほぼ先端に分布している。1~6号墳まで残存するが、すべて円墳であり、3・4号墳は浅い周溝が見られる。市内でも中規模の円墳である。また、平成25年の調査により、1号墳は出土した土器から古墳時代前期(4世紀)の円墳であったことが判明している。
本古墳群は従来考えられていた後期古墳群だけではなく、前期から中期に遡ることが判明した。

横倉戸館古墳群

小山ゴルフクラブ内古墳群

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 喜沢小山カントリークラブ

思川東岸の段丘上、小山市桑地区の南端に位置する喜沢古墳群の一部である。古墳は5基現存し、帆立貝式前方後円墳である桑57号墳を除く4基はすべて円墳で、5世紀後半~6世紀にかけて形成されたと考えられている。中でも桑57号墳は天冠など豊富な副葬品が出土したことで注目され、副葬品は市指定文化財になっている。

小山ゴルフクラブ内古墳群

日光街道西一里塚

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 喜沢小山カントリークラブ

日光街道の脇往還である壬生通りにあり、喜沢の追分をすぎて最初の一里塚である。東西両側2基の塚は直径約3.3メートル、高さ約1.8メートルで、東側は一部崩れているが、西側はほぼ完全な形で、当時の様子を伺うことができる。この一里塚の次が飯塚一里塚でほぼ正確に一里の地点に設置され、当時の測量技術の正確さを伺わせる。
市内ではこの一里塚と喜沢一里塚、飯塚一里塚の3か所が確認されており、近世の街道の様子を知る貴重な遺構である。

日光街道西一里塚

東島田10号墳

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 東島田日本聖公会北関東教区

思川と姿川の合流地点近くの東岸、段丘上に位置している。直径25メートル、高さ2メートルの円墳で、径の大きさの割には高さがない墳形をしている。周溝をうかがわせるわずかなくぼみも認められ、地下式の横穴式石室を持つと思われる。北側の林の中には数基の古墳が残るが、小円墳とはいえ、保存状態が良好な古墳として重要である。

東島田10号墳

寒沢古墳

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 乙女個人蔵

この古墳は、小山市乙女地区寒沢の、思川東岸の河岸段丘に接した台地に位置している。直径20メートル、高さ3.5メートルの円墳で、墳頂部に稲荷神社が祀られる。北側から東側にかけて周溝と推定されるわずかなくぼみが認められる。周辺からは縄文時代早期から中期にかけての土器が出土し、寒沢遺跡となっている。

寒沢古墳

中妻古墳

  • 昭和58年2月1日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 乙女個人蔵

この古墳は小山市乙女地区中妻の、思川東岸の河岸段丘上に位置している。6世紀築造と思われる帆立貝式前方後円墳である。全長32メートル、後円部径21メートル、高さ2メートルで、この後円部の北東に周溝を思わせる浅いくぼみが認められる。また、かつては、本古墳の周辺に4基の円墳が存在していたとされている。

中妻古墳

飯塚35号墳

  • 昭和63年11月28日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 飯塚小山市

小山市北端の飯塚地区に分布する飯塚古墳群の中の1基で、直径約22メートル、高さ5メートルの墳丘が残る。北側を道路、南と西側を民家に削られており、墳丘の南側からは石室の用材と思われる石が出土しているため、埋葬施設に横穴式石室をもつ可能性が高いと考えられている。なお、平成6年(1994)に行われた調査で、墳長40メートルほどの西面する前方後円墳の後円部残丘であること、円筒埴輪や朝顔形埴輪と共に盾持ちの人物埴輪が並べられていたことが確認され、6世紀後半に築造された中規模の前方後円墳であることが判明している。飯塚古墳群内の古墳の中でも比較的規模が大きく、墳丘が現存する数少ないものであり、近接する国指定史跡の琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳との関連においても貴重な古墳である。

飯塚35号墳

宮内5号墳

  • 平成10年2月3日
  • 市指定記念物〔史跡〕
  • 粟宮小山市

小山市粟宮の宮内地内に所在する宮内古墳群の中の一つである。南北長35.2メートル、東西長32.6メートル、高さ3.7メートルの2段築成の方墳である。古墳時代終末期の7世紀に築造されたと考えられる。良好な形状を残しており、古墳時代後半の小山市域の社会構造を解明する手がかりとなる古墳として貴重である。

宮内5号墳