この史跡は、奈良時代の頃(今から約1250年前)、日本三戒壇の1つであった下野薬師寺に瓦を供給した瓦窯跡として注目され、昭和53年に国史跡として指定を受けました。
発掘の結果、4基の窯跡、灰原(木の燃えかすを捨てた所)、粘土発掘抗(瓦の材料になる粘土を掘り出した所)、工房跡など貴重な遺構が見つかっています。また、下野薬師寺や下野国分寺跡から出土した瓦と同じ、ハスの花をかたどった文様の鐙瓦や唐草文様の宇瓦をはじめ、男瓦、女瓦など数多く出土しています。
日本三戒壇=奈良時代、筑紫の観世音寺、奈良の東大寺、下野薬師寺にて僧侶の資格を授けることができました。
平窯跡
工房跡
粘土採掘抗跡
出土した瓦の複製品で作られた説明版
沿革
昭和39年
試掘調査を行い、国指定史跡の下野薬師寺から出土した鐙瓦(あぶみかわら、軒丸瓦)・宇瓦と同じ瓦が発見される。
昭和51・52年
確認調査を行い、4基の窯跡・灰原・工房跡・住居跡が発見される。
昭和53年5月11日
国史跡として指定される(指定面積は6,124平方メートル)。
昭和58年3月
用地の買収が終わる。
昭和63年から平成4年
この遺跡の整備のため、窯跡・工房跡・灰原・粘土採掘抗の配置や規模などを確認する発掘調査が行われる。
平成6年から7年
保存整備計画と実施計画を作成。
平成8年から9年
遺跡の整備を実施。
平成10年4月25日
小山市で初めての史跡公園「乙女かわらの里公園」としてオープン。